棋士たちは段位別に分かれ、自らの意思で出場を決定。このユニークなシステムの中、決勝三番勝負では山崎隆之八段が郷田真隆九段を2勝0敗で下し、見事優勝。山崎八段はこの勝利により第1期電王戦の出場権を手に入れた。
第1期叡王 山崎隆之
2015年12月13日に京都国立博物館で⾏われた第1期叡王戦決勝三番勝負第2局にて、126手で山崎隆之八段が郷田真隆九段に勝利し初代“叡王”の称号を獲得。第1期電王戦二番勝負に出場するも電王PONANZAに惜しくも2連敗を喫する。
2015年12月13日叡王獲得
栄えある初代叡王に輝いたのは、関西のホープ、山崎隆之八段だった。当時、棋士とコンピュータのどちらが本当に強いのか、という議論が盛んだった時代。叡王に就位した山崎は、2016年度初めにコンピュータソフト(PONANZA)と対局を行った。
山崎は入念な準備を整え、関西の若手棋士たちと共に研究を重ねて対局に臨んだ。持ち時間もタイトル戦に匹敵する2日間と設定されたため、人間(棋士)も実力を発揮できる展開が予想され、専門家の多くは勝負を五分五分と見ていた。
第1局では、後手番の山崎が、先手番のソフトPONANZAの好手(3八銀)に上手く対応できずに惜敗。注目の第2局では、山崎の先手番となり、彼が得意とする相掛かりの展開に持ち込む研究の手順を用意して対局に臨んだとされる。しかし、山崎の初手はどうだったのか?
羽織袴で正座し、コンピュータに対峙し、深々と挨拶を交わした彼は1分考えた。控え室で見守る関西の若手研究仲間たちは、「初手は研究手順の『2六歩』であろう」と予想していた。しかし、山崎は少し頷いた後、歩を持ち「☗7六歩」を指した。
控え室では大きなどよめきが沸き起こった。「なぜ研究手順を指さないのか!」と驚く関西の若手仲間たち。その様子は今も鮮明に記憶されている。山崎は、なぜ初手の研究手順(コンピュータの不備を突く手順)を指さなかったのか。この疑問は控え室の棋士や終局後の山崎のコメントからも明らかになる。検討室には、山崎の師匠である森信雄七段門下の棋士が集結していた。千田翔太五段、大石直嗣六段、澤田真吾六段、糸谷哲郎八段が検討に参加していた。初手の7六歩に対し、千田五段は「山崎叡王は対PONANZA対策をしていたが、わざと指さなかったのだ」と述べた。
終局後の山崎隆之叡王は、「想定通りには全く進まず、思いつきでした。相掛かり系の将棋を目指していましたが、予定通りにはいかなかった。プロとして、もっと先手番で工夫し、攻撃的に動けばよかったと後悔しています」と述べた。
一棋士としての矜持を示した山崎の創造性豊かな将棋スタイルには、今も多くのファンがいる。
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