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日本でショートケーキを発売してから、今年で100年。白いクリームに赤い苺の、あのショートケーキって、実は日本で生まれ育ったものなんです。不二家の創業者・藤井林右衛門が「お菓子で世の中を幸せにしたい」と販売したことが先駆けであった、とも言われています。

100年。この年月、ショートケーキはきっとたくさんのひとを、元気に、笑顔にしてきました。

今年はそんなみんなの思い出が、小さなストーリーと、スペシャルショートケーキとなって、毎月登場します。

あなたの人生の物語に、これからも、私たちのショートケーキがありますように。ケーキの向こうの笑顔を思って、きょうも不二家は、作り続けます。

日本でショートケーキを発売してから、今年で100年。白いクリームに赤い苺の、あのショートケーキって、実は日本で生まれ育ったものなんです。不二家の創業者・藤井林右衛門が「お菓子で世の中を幸せにしたい」と販売したことが先駆けであった、とも言われています。

100年。この年月、ショートケーキはきっとたくさんのひとを、元気に、笑顔にしてきました。

今年はそんなみんなの思い出が、小さなストーリーと、スペシャルショートケーキとなって、毎月登場します。

あなたの人生の物語に、これからも、私たちのショートケーキがありますように。ケーキの向こうの笑顔を思って、きょうも不二家は、作り続けます。

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大賞決定

求む!おいしい思い出。

あなたの物語にも、きっとあるはず。
ショートケーキが登場する、1ページ。
そんな思い出を、みなさんから募集。
さまざまな心温まるストーリー、
本当にありがとうございました!

大賞(1名)

たくさんのご応募の中から、大賞が決定!
このストーリーをもとに、
スペシャルショートケーキが
誕生しました。

ケーキって、心に届く、
手紙だと思う。
教師 阿部 菜紅なこさん

東京都で教師をしている、阿部菜紅なこさん。携帯電話の待ち受け画面には、ショートケーキの写真。もうずっと変えていない、思い出の写真なのだそう。それは2年前のこと。大学の卒業式を終え帰省すると、満面の笑みを浮かべて待つ家族が。サプライズで、不二家の大きなショートケーキが用意されていたのです。ケーキの上には「顔晴れ菜紅先生」のチョコプレート。書いたのはなんと、お母さんでした。必死に努力を重ねてきた教師への道。節目ごとに、「教育実習お疲れさま」「合格おめでとう」など様々な言葉を書いてお祝いしてくれたそう。いちばん大きく切られたケーキを頬張る菜紅さんに、お母さんは言います。「なぁちゃんには帰る場所があるのだから、 その身ひとつで、家族の待つこの場所に、 いつでもいいから帰っておいでね。」先生になるのだからと強がる気持ちと、まだまだ家族に甘えていたい気持ち。これまでの努力や、「顔晴れ」に込められた家族の思い。たくさんの感情が複雑に絡み合い、思わず涙が。「その日からずっと、この写真はお守りですね。 背中を押してもらえます。」ケーキは大切なメッセージを、心に届けてくれたようです。

「ショートケーキ12の物語」11月の期間限定ケーキは、「想いを紡ぐ、ミルキーショートケーキ 」。「ママの味」のミルキークリームを使い、家族の温かさを表現した〝かまくら〟の形のケーキです。プレゼントをイメージした、リボン型のクリームに心温まるメッセージを添えて。あなたも大切な人へ贈ってみてはいかがですか?込めた思いで、もっとおいしくなるはずです。

2022
11.22 - 11.30
限定販売
想いを紡ぐ、
ミルキーショートケーキ

ほっこり
エピソード賞
(10名)

惜しくも大賞には選ばれなかった
素敵なストーリーの中から
不二家社員を感動や笑いに巻き込んだ
10名のストーリーを紹介します。

「俺よりうまいケーキを
作ったら結婚を認めてやる」

にじいろさん

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「俺よりうまいケーキを作ったら結婚を認めてやる」そう言うのは彼女のお父さんだ。初めての顔合わせ。あまりの無理難題に思わず言葉を失った。元々洋菓子店で働いていたというお父さん。これをクリアできなければ結婚が破断になる可能性もある…僕らは顔を見合わせ、そのあとでちょっと顔をしかめた。

しかしそうも言っていられず、その日から試作に取り掛かった。彼女によるとお父さんはショートケーキが好きらしい。「生クリームはチョコにした方がいいんじゃない?」「いや、いつもショートケーキは純白に限るって言ってるわ」「でもこの前不二家のチョコ生ケーキを買ってきたぜ」「それは糖質オフだからでしょ?」「ちがうよ!たまにはチョコも食べたいんだって言ってた」材料は揃っても、揃わない足並み。何だか先が思いやられる。それでも何時間も話し合って、やっとひとつのカタチにたどり着いた。スポンジは 大豆粉とアーモンドプードルを使って糖質を抑えめに。生クリームは甘さを控えめにして苺の甘みを際立たせる。そして最後にチョコレートのプレートにメッセージをかく。「やっぱり、アレしかないよね」お父さんが大好きなミュージシャンの言葉になぞらえて、僕らはホワイトチョコレートペンで『これからも4649』とかいた。お父さんが僕らを認めてくれたらいいし、喜んでくれたら、もっと、いい。そんな気持ちだった。

再会の日。僕らが作ったケーキを見るなり、お父さんはにんまりと笑った。そしてたったひと言。「娘をよろしくお願いします」と頭を下げた。途端に涙が出そうになった。こんな僕でも、こんなケーキでも、お父さんが認めてくれるなら。お父さんは伝えたかったのかもしれない。大切なのはどんなケーキを作るかじゃなく、どんな思いで作るかだって。「ありがとうございます!必ず幸せにします」僕は頭を下げ、そのまましばらく上げられなかった。

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祖父から
引き継がれたもの。

星野 久美子さん

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私は小さい頃からお菓子作りが大好きでした。中学生の頃初めて作った苺のショートケーキ。それを見て、祖母が感慨深そうに「血はあらそえないねぇ」と涙ぐんでいるのを不思議に思っていました。

大人になってから、その訳が分かりました。私の祖父は、不二家のケーキ職人で、独立して台湾の高雄にお店を出していたそうです。そこで、日本から移民として現地に行っていた祖母と知り合い、結婚。二人の娘が生まれたところで、祖父は第二次世界大戦に出征し、亡くなったそうです。祖母は二人の娘と命からがら日本に帰り、83歳で亡くなりましたが、祖母にとっては、祖父の作った苺のショートケーキには特別な思いがあり、何も知らなかった私が苺のショートケーキを作ったとき、きっと祖父のことを思い出していたのでしょう。祖父の命日には、祖母は必ず不二家のショートケーキを供えていました。それは母に受け継がれ、今では私も祖父の命日には欠かさず不二家のショートケーキを供えています。

私が子どもの頃から変わらないように見えるショートケーキですが、80年以上前の祖父の時代には、どんなショートケーキだったんだろう?と、不思議な感じさえします。私はクリームをコテコテぬって、生クリームたっぷりのショートケーキを作りますが、きっと祖父の時代は、もっとシンプルで気品さえ感じるようなショートケーキだったんじゃないかな…などと想像しています。

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「お母さん、
私たちのどっちが好き?」

太田 貴子さん

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幼い頃、私たち姉弟は母に、自分たち二人のうち、「どっちが好き?」とことあるごとに尋ねていた。そう尋ねることにハマっていたと言っても過言ではない。そこに深い意味はなかった。母の答えはいつも「二人とも同じだけ好きよ」だった。

ある日、私たち姉弟が二人ともマラソン大会で去年より順位を上げたご褒美として、母がケーキを作ってくれることになった。「私、チョコレートケーキがいい」「俺は、白い生クリームのケーキがいい」。そしていつものように私たちは母にこう聞いた。「お母さん、私たちのどっちが好き?どっちが大事?」と。自分のケーキの「推し」を主張するかのように二人でまっすぐに母を見た。母は苦笑いしながら何も言わなかった。

そしてある日、帰宅するとテーブルには奇妙なホールケーキがあった。パッと見ると二種類、チョコレートと白い生クリームのケーキを作り、それをくっつけて丸にしているように見えた。が、面積が違う。チョコの方が少なかったのだ。「よっしゃ、俺の勝ち」。弟はそう叫んだ。「よく見て」母は、ふいにケーキの白い部分を指差した。「あっ」私は気づいた。近づいて見ると、白く見えた部分の半分は、薄黄色がかったケーキだった。三つのケーキが同じ量だけくっついていたのだ。「これは、まさと君のよ」。まさと、とは、生まれてくることのなかった私たちの弟だ。「まさと君がお腹にいたとき、お母さん、無性にバタークリームケーキが食べたかったのよ」。母は三種類のケーキを別々に作って並べて、丸にしていたのだ。その話を聞いた私たちはなぜか声が出なかった。母の想いや、二人の子どものうちどちらが好きか、大切か、と聞くことがとても恥ずかしいことに思えた。母にとって大切な存在はもう一人いたのだ。そのホールケーキは、三つの味を細く細く切って、それぞれのお皿に並べて置かれた。初めて食べるバタークリームケーキは、甘さが独特で胃に重い感じがした。けれど、不思議だ。三つの味を少しずつスプーンですくって口に入れると、なんとも言えない、贅沢でやさしい味になった。

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忘れもしない
あの日の出来事。

はまころさん

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不二家のホールの苺ケーキを見るとあの出来事を思い出します。私が幼稚園児のときのこと。父と一緒に姉の誕生日ケーキを買いに出かけたときの話です。その日は叔母や従兄弟や祖父母も集まる、盛大な誕生日会。当時、父は洋菓子関係の会社に勤めていたため、父の会社のケーキを予約し引き取りに行きました。わざわざ都内まで。帰りがけ、最寄り駅の駐輪場でのことでした。私は父の自転車の後部に乗せられ…あろうことか、父は前かごにケーキをちょこんと置いたのです。子どもながら危ないなぁと思いましたが、その予想は的中。ハンドルがくるりと回転しホールケーキが見事に落下。父と顔を見合わせ、明らかに大丈夫ではないのに「お父さん、大丈夫だよ!」と精いっぱい励ます幼稚園児の私。ふたりでケーキ箱のスケルトンフィルムから覗くと、無惨にもぐちゃぐちゃになったケーキの姿が!考えた末、最寄り駅の不二家で買い直そうということに。大急ぎで向かったら同じサイズの苺のホールケーキがあったので、胸をなでおろしました。今度は私がしっかりとケーキを持ち、無事に帰宅。事情を話すと、はじめ母や姉は怒っていたけれど、結果的に可愛いケーキにご満悦。「おたんじょうびおめでとう」の文字と、隣に描かれたペコちゃんのイラストに癒されました。父の会社のつぶれたケーキは苦く、不二家のペコちゃんが輝いたケーキは甘く、幼い私にはなんだか衝撃的な苦くて甘い思い出でした。

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結婚前夜の、
2つのケーキ。

佐々木 まゆみさん

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20年以上昔の話です。結婚式前夜、幼なじみの男の子が結婚祝いで不二家の苺のホールケーキを持って会いに来てくれました。結婚式に参列する親族が泊まりに来ていたこともあり冷蔵庫はぱんぱん。夜に頂こうと冷蔵庫にケーキを入れていたのですが、叔母が誤って冷蔵庫を開けた際にケーキの箱を落としてしまったそうです。にわかにバタバタと騒がしくなり、母に呼ばれた父が叔母と慌てて外へ。何事かと思っていたら父と叔母がしょんぼりしながら不二家の箱を持って帰って来たのです。

聞けば、せっかく幼なじみが持ってきてくれたケーキを落下させてしまったため、同じケーキを買って誤魔化そうとしたらしいのですが、近所の不二家に到着するとオーナーさんがシャッターを閉めているところだったそうです。慌てて父と叔母が事情を話したところオーナーさんは「ありあわせのものしかないのですが…」とお店を開け特別に用意してくださったのはホワイトチョコ生ケーキ。チョコプレートには「結婚おめでとう」の文字。

「そんな…わざわざよかったのに…」なんだかみんなの気持ちがありがたく、思わず涙が溢れました。落下してしまったケーキは全体が斜めになった芸術的な形でしたが、弟がひと口食べて「うん!味は変わらない、うまい!」とおどけて、みんなでワイワイ2つのケーキを頂きました。結婚式前夜、独身最後の思い出です。

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30個の
三角ショートケーキが…

ほんちょさん

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30年前、高校生だった私が初めてバイトをしたのが京都にある不二家だった。胸にペコちゃんのワッペンがついたピンク色のジャンパーを着用し、接客出来ることが嬉しくて新鮮で、社会の仲間入りをした気持ちで浮かれていたのを今でも覚えている。

少しずつ戦力になりつつあったある日、三角ショートケーキが30個ほど入った「ばんじゅう」と呼ばれるケースを運んでいた際、つまずいてしまい全てのケーキをぐちゃぐちゃにしてしまった。ただの一つも原型を留めていない。厨房のスタッフが丁寧に作ってくれたケーキ、たった今完成したばかりのケーキ全てが。頭が真っ白になり、どうしたら良いのか分からずとっさに棚に隠した。ばれるのは時間の問題なのに、窮地に立たされると人間不思議な行動を取るものだ。生きた心地がしなかった。しかし30分ほど経ったとき、棚を開けた先輩にあっさり発見される。怒鳴られるのも弁償させられるのも覚悟だったが、「わ〜派手にやっちゃったね〜俺も始めの頃同じことしたから大丈夫。でも今度からは隠しちゃダメだよ」と笑って注意してくれた。その言葉に深く反省し感謝をし、こんな懐の広い人間になりたいと思った。

不二家のバイトでは色んなことを教わった。先輩の優しさ、社会人としての在り方、お客様に「ありがとう」と言われると嬉しいこと、お給料で買ったケーキは格別に美味しいこと。どれも不二家で学んだことだ。街中で不二家を見かけると今でも色んな思い出が蘇る。そして三角ショートケーキが食べたくなる。

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ちょっとしょっぱい
ショートケーキ。

ARISAさん

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高3の3月。大学受験に向けて必死だった時期。当時腰を痛めており、座って勉強できないため学校に行くことも出来なかった。反抗期真っ只中の弟とは顔を合わせるだけですぐに喧嘩。とにかく辛い時期だった。

どうせ落ちている、と発表時間を2時間も過ぎてから結果を確認すると、なんと第一志望の学校に合格。両親は気を遣ったのか外出中だったので、家に残っていた弟に泣きながら報告をすると、少しびっくりしたような表情で「……おめでとう」とひと言。その後、家から出ていってしまった。

寂しさを感じつつ一人でいると、ガチャ、と玄関が開く音がした。両親が帰ってきたと思いそちらを見ると、弟がコンビニのショートケーキを買ってきてくれていた。「これしかなかった」。そうぶっきらぼうに言ったあと、「大学頑張れよ」と恥ずかしそうに目を逸らした弟。人生でいちばん、あたたかくて少ししょっぱいショートケーキだった。

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オトナの不二家。

颯光さん

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私は幼い頃からケーキが好きだった。私が住んでいた町にはケーキ屋といえば不二家しかなく、不二家のケーキ以外は食べたことがなかった。

大人になって、銀座の会社に勤めるようになった。銀座は、大人のハイセンスな街。仕事が終わると、いつも彼女と数寄屋橋交差点の交番所で待ち合わせ、その後、中央通り沿いにあった「不二家銀座店」に行った。広々とした店内。大きく開放的なガラス張りの店は、中央通りを行き交う車のライトがあふれ、情緒があふれていた。雨のときは、ガラス窓に車のテールランプが滲み、詩情に満ちていた。

私たちは残業のあと、お腹を空かせて、彼女と二人で不二家のケーキをたくさん注文して食べた。平日の閉店間際。これはまさに穴場だった。土日となれば混みあう店内も、平日の夜遅くに訪れるお客さんはあまりいない。私たちはほとんど貸し切り状態で、不二家のケーキをおなかいっぱい食べた。銀座のバーで二人で飲んだり食べたりしたら、軽く一万円は超える。しかし、不二家のケーキをどれだけ二人で頑張って食べても、好きなだけ注文しても、一万円はかからない。子どもの頃、不二家のガラスケースに入ったケーキを左から右まで全部食べたいと思ったが、大人になって実現した。閉店間際にたくさんケーキを食べる私たちカップルを、店員さんはいつもにこにこして、あたたかくもてなしてくれた。そんなカップルは、広い東京の中で、私たちしかいなかった。まるでテーマパークにでも来ているような気分だった。心から不二家が好きで、不二家のケーキが好きで、不二家を愛しているのだと、私には感じられた。

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母と一緒に作った
ショートケーキ。

リコさん

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私が小さい頃、家族の誕生日やクリスマス等のイベント時、母がよくショートケーキを作ってくれ、私はいつもお手伝いをしていました。最初は苺を乗せたり、スポンジにクリームをぬる作業しかできませんでしたが、4〜5才になると、スポンジの材料を混ぜたり、クリームの泡立てができるようになり、少しずつできることが増える喜びと、料理を作る楽しさを教わりました。ケーキを食べるときは、今日はこんなお手伝いをしたんだよ!と、兄と父に話しながら家族4人で笑い合って楽しく食べていたものです。

料理の楽しさと、おいしいねとみんなが笑顔になってくれる喜びを覚えた私は、よくお菓子を作る子どもになり、今でも、趣味でお菓子作りをしています。調理師免許も取得しました。いっぽう母はいつ頃からかシフォンケーキ作りに夢中になり、家族や友人、職場の人のために焼くことが増え、年間100個作るほどでした。台所をどちらが使うかでちょっとした喧嘩になったことも…。

今は実家から離れて暮らしているため喧嘩することもなくなりましたが、よい思い出です。

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プロポーズ・ケーキ

川竹 哲郎さん

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11年前、今となっては妻となった当時の彼女に、サプライズでプロポーズするためケーキの上のプレートに「結婚しよう」と書いてもらいました。男の店員さんでしたが、何度も文字を確認して見せてくれて、納得いくまで書き直すと言ってくれました。プロポーズも成功して、ケーキも2人でおいしく食べることができ感謝しています。今ではその店舗は閉店してしまい残念ですが、店舗があった場所の近くを通るたび今でも思い出します。

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その他にもたくさんの
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ショートケーキ発売
100周年を記念した
ミルキールックも登場!

ミルキー(100年のショートケーキ)
11月22日(火) 発売
商品詳細ページへ
ルック(100年のショートケーキ)
11月22日(火) 発売
商品詳細ページへ
FUJIYA Top
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「お菓子で世の中を幸せにしたい」。100年以上も昔、そんな輝かしい夢を抱いたある青年は、横浜に小さな洋菓子店を開きました。彼はお菓子を学びに一大決心をして渡ったアメリカで、「ショートケーキ」と出会います。それを日本人の口に合うようアレンジし、彼の思いがつまった独自のショートケーキが、1922年に生まれました。ちょうど100年前のことです。これが、日本のショートケーキの先駆けであったと言われています。不二家の創業者・藤井林右衛門の、まったく新しい挑戦でした。

「ショートケーキ 12の物語」最初の期間限定ケーキは、林右衛門の熱い思いを今に伝える「伝承の味 不二家のショートケーキ」。不二家の最初のショートケーキをイメージした、レトロでかわいらしいケーキです。当時の青年が夢に見た、幸せなひとときを、お届けします。

不二家で働く知恵さん。ある日彼女のお店に、ご高齢の上品なご婦人がやってきました。「1つで申し訳ないんだけど…」そう言いながら、ご婦人はショートケーキを1つ注文。実は…と照れながら、「今日は、私の誕生日なの。」知恵さんは「それはおめでとうございます!」と、ケーキと一緒に、キャンドルを1本プレゼント。ケーキを挟んで、2つの笑顔がこぼれます。

その数ヶ月後。「やっと会えた!」明るい声は、そのご婦人でした。お客さまから覚えてもらえるなんて、こんなに嬉しいことはありません。すぐに駆け寄り、会話に花が咲いたのでした。ケーキはお口においしいだけでなく、きっと心も温めるもの。たったひとつのケーキが繋いだ、ふたりの絆でした。

「ショートケーキ 12の物語」2月の期間限定ケーキは、「苺のキャンドルショート」。みんなに笑顔を灯す、キャンドルみたいな形のショートケーキです。ひとりでも多くの方の心を、温められますように。そんな不二家の願いをこめて。

「本当に優しい生徒たちですよ。ひとのために自分の力を惜しまない、すごく思いの強い子たちです。」高校生パティシエNo.1を決める、「スイーツ甲子園」。そこで「ペコちゃん賞*」を受賞した、熊本県 慶誠高校のメンバーのことを、育てた先生はそう話します。今月のショートケーキは、そんな彼女たちと不二家がいっしょに考えたもの。慶誠高校パティシエコースのモットーは「おかし作りを通して、善い人になる」。その言葉どおり、今回のショートケーキの売上の一部が熊本への義援金になると知った彼女たちは、大喜び。地域が、ひとが元気になることを、心から嬉しく思える。そんな彼女たちは4月から、それぞれの製菓の道へと進みます。技術より大切なものを持っている彼女たちは、きっとこれからも、多くの幸せをつくっていくのでしょう。

「ショートケーキ 12の物語」3月の期間限定ケーキは、「まるごと熊本ハッピーショート」。熊本県の素材を活かすという、彼女たちらしいアイディアが詰まった地元応援ショートケーキです。さらに彼女たちの高校創立は、不二家のショートケーキ発売と同じく、100周年。ケーキを上から見ると「100」になるよう、クリームと苺で飾りました。訪れる新しい春が、たくさんのハッピーで彩られますように。

*協賛企業から贈られる賞として、 不二家から贈呈された賞。

お茶屋さんを営む家で生まれ育った、茶師・池田研太さん。実家にはいつも、茶葉の香ばしい匂いが立ちこめていたのだそう。子どもの頃の大きな楽しみは、誕生日に家族と囲むケーキ。合わせるのはもちろん、煎茶でした。甘いクリームに合うように、普段より少し熱いお湯で、濃いめに出す工夫をしていたとか。

コーヒーでも紅茶でもない、ちょっと意外なマリアージュ。ちなみにマリアージュとは、「相性の良い組み合わせ」といった意味で使われますが、もとはフランス語で「結婚」。お茶の苦みとケーキの甘さは、お互いを引き立て合う、幸福な出会いだったのです。幼い頃から、そのバランスの良さを自然と感じ取っていた池田さん。家業を継いでからも、お茶の味や香り、質を見極める技術を磨き続け、日本で十数名しかいない「茶師十段」の称号を取得し活躍しています。

「ショートケーキ 12の物語」4月の期間限定ケーキは、「茶師十段厳選 お茶と愉しむショートケーキ」。お茶にぴったりの、栗と羊羹ようかんが入った和風のショートケーキに、茶師十段 池田さん厳選の、煎茶のティーバッグをセットにしました。ふたつが出会った幸せなおいしさを、お楽しみください。

〝しょこたん〟こと、歌手・タレントの中川翔子さんは言いました。「幼い頃から、〝ショートケーキは不二家〟と 義務教育のように母から教わってきました!」誕生日もクリスマスも、嬉しい日も落ち込んだ日も、ケーキは必ず不二家。そこにはたくさんの親子の思い出が詰まっています。実は芸能界に入った当初、お母さんに「いつか大好きな不二家と仕事がしたい」と、不二家レストランでストロベリーホットケーキを食べながら話していたとか。当時はふとした言葉でしたが、その日が夢への第一歩をかざる、記念日だったのかもしれません。

「不二家のケーキは、〝そうそう、この味!〟と当時の記憶が よみがえる味。だから食べると、気持ちが温かくなるんです。」きっとケーキの数だけ、家族のかけがえのない思い出があるのでしょう。

「ショートケーキ 12の物語」5月の期間限定ケーキは、大の猫好きの中川翔子さんらしく「ニャつかしのストロベリーホッとケーキ」。翔子さんもお母さんもいちばん好きと話す、不二家レストランの「ストロベリーホットケーキ」をショートケーキ風にアレンジ。たくさんの家族のストーリーが、これからも生まれていくことを願って。

※商品の売上の一部を保護猫活動の支援金として、株式会社ネコリパブリックへ寄付いたします。

プロゴルフの大会。そこには親に連れられて、子どもが見に来ることもあります。退屈そうにしている子に、「桃」のイラストが入ったゴルフボールをあげるのは、プロゴルファーの上田桃子さん。するとたちまち目を輝かせる子も多いそう。きっかけ一つで、興味が湧く。そんな瞬間を増やせたら、と上田さんは話します。

「子どものとき心が動いたものって、 ずっと覚えてますからね」

それはケーキも似ているよう。というのも上田さんが幼い頃、いつも友だちとの待ち合わせ場所は、近所にあった不二家のペコちゃん人形の前。たまにお小遣いを持っているときに買えた不二家のケーキは、ワクワクの象徴だったそう。そんな上田さん、今でもお祝いごとには、必ず不二家のケーキを食べます。「あの頃の嬉しさがよみがえります。 大人になった今でもやっぱりおいしい」子どもの「好き」は、一生モノなのかもしれません。

「ショートケーキ 12の物語」6月の期間限定ケーキは、「ホールインワン!ナイスショットケーキ」。ゴルフボールが乗ったような可愛らしい見た目と、上田桃子さん自身も昔から大好きな桃で、小さな子どもからも愛されるショートケーキに。上田さんと同じように、みんなに夢を与えられる、ケーキづくりを目指して。

棋士は、甘いものが好きと言われるそう。将棋人気が高まり、注目を集めるようになった〝将棋おやつ〟。藤井聡太さんも「甘党が多いのは、頭を使うからですかね。私もチョコが好きですし、甘いものを摂取するとホッとできる気がします」と話します。

現代では〝将棋AI〟も非常に強くなりましたが、きっと人々が対局に心を動かされるのは、機械にはない、一局一局の人間味。何を食べて、どう勝負に出るのか。盤外の一手にもストーリーがあるから、人は魅了されるのでしょう。藤井さんは不二家のケーキ「コロコロしばちゃん」を、初挑戦した叡王戦の第6期で食べたときのことをこう振り返ります。「かわいらしい見た目で、最終局の大一番でしたが、 リラックスして臨むことができました。」結果は見事、叡王を獲得。続く第7期も、ケーキとともに防衛に成功。スイーツは、考えるひとの味方です。

「ショートケーキ 12の物語」7月の期間限定ケーキは、「Next Move~次の一手~」。チョコ好きの藤井さんらしい味と、夏の爽やかなフルーツで、心の栄養に。食べたら、「いい手」も思いつくかも?がんばるすべての人を、応援するケーキです。

〝定住旅行家〟ERIKOさん。彼女は世界中で現地の家庭に入って生活をし、そこでの暮らしを発信する活動をしています。各国の「食」は、その地の生き方の鏡だとか。

例えばイラン。宗教上、外では歌や踊りが厳しく制限されていますが、その分それらが許される家の中では開放的。人を招くのが大好きなイラン人にとって、お菓子は自由な空気をより盛り上げる必須アイテムです。「キロ単位で買うのが常識よ」。イラン人のお母さんは話します。

そしてグリーンランド。ここには「大人だけが招かれる、子どもの誕生日会」があるそう。料理や数十個ものケーキを盛大に囲みながら、厳しい冬を越して成長できた感謝を、周りの大人に伝える場なのだとか。極寒が生んだ、温かなパーティです。

場所によって少しずつ姿を変える、ひとの幸せや、誇りや、絆。当たり前と思っていることも、ほかの土地では、きっと当たり前じゃない。海外での食事は、自分の世界を広げてくれるものかもしれません。

「ショートケーキ 12の物語」8月の期間限定ケーキは、「Hello! New Colorful World」。ふつうのショートケーキに見えて、中にはさまざまな素材を使ったカラフルなスポンジと、フルーツのソースが。世界は私たちもまだ知らないいろどりで、きっと溢れているのでしょう。

女優・南果歩さんは言います。「息子の19歳の誕生日。 初めて直接お祝いができませんでした。」息子さんが進学したのは、遠く離れたアメリカの大学。それでも誕生日には、日本にいる家族で集まって、いつものようにケーキを用意し、その写真を送ってお祝いしたそう。いっしょに食べることはできなくても、ケーキの良さは「笑顔を分かち合えること」と、南さんは話します。

そのルーツは子ども時代に。5人姉妹の末っ子として育った南さん、幼い頃はホールケーキを切り分けるとき、どれが一番大きいかでよく言い合いになったそう。それでも、あぁでもないこうでもないと大騒ぎしながらみんなで分け合うその時間は、とても幸せなものでした。

たとえ大人数でひとり分が小さくなっても、たとえ遠く離れていても、ケーキを通して、笑顔が増える。「こんなに瞬時にひとを幸せにするものって、 他になかなかないですね。」そう話してくれました。

「ショートケーキ 12の物語」9月の期間限定ケーキは、「ペコちゃんからのおくりもの」。南さんも大好きなペコちゃんの顔をかたどったチョコレートを乗せ、見て可愛い、食べておいしい、幸せな時間をおくるケーキです。囲むみんなが、やさしい笑顔に包まれますように。

日本を代表するヴァイオリニスト、大谷康子さん。幼少期から、発表会のあとに食べる不二家のバタークリームケーキが大好きだったそう。

「ケーキも音楽も、似ているところがあると思うんです。 それは、心で味わうもの、ということ」と話します。

クラシック音楽は、どうもお堅いものというイメージ。その昔、日本人には西洋音楽が「学問」として捉えられてしまい、楽しむというより、頭で聞く人が多くなってしまったんだとか。

「ケーキやお料理も、分析なんかしなくたって、 食べたときにおいしい!と思えたらそれでいいでしょう? 音楽も同じなんです。スポンジのように柔らかい心で 味わえば、すっと入ってくるはずです」

たしかに、難しい顔をしてケーキを食べる人はなかなかいません。ゆったりとリラックスして食べたほうが、ずっとおいしい。音楽も、肩肘はらず心で楽しめば、おいしくいただけるのですね。

「予習なんていらないんです。 みなさんに幸せを届けるのが、音楽ですから」心を豊かにしてくれるというところも、ケーキと音楽は似ているようです。

「ショートケーキ 12の物語」10月の期間限定ケーキは、「バタークリームが奏でる、ショートケーキのねいろ」。おくちの中で広がるバタークリームと苺、スポンジの豊かなハーモニーを、心で味わってみてください。ぜひ、音楽もごいっしょに。

東京都で教師をしている、阿部菜紅なこさん。携帯電話の待ち受け画面には、ショートケーキの写真。もうずっと変えていない、思い出の写真なのだそう。それは2年前のこと。大学の卒業式を終え帰省すると、満面の笑みを浮かべて待つ家族が。サプライズで、不二家の大きなショートケーキが用意されていたのです。ケーキの上には「顔晴れ菜紅先生」のチョコプレート。書いたのはなんと、お母さんでした。必死に努力を重ねてきた教師への道。節目ごとに、「教育実習お疲れさま」「合格おめでとう」など様々な言葉を書いてお祝いしてくれたそう。いちばん大きく切られたケーキを頬張る菜紅さんに、お母さんは言います。「なぁちゃんには帰る場所があるのだから、 その身ひとつで、家族の待つこの場所に、 いつでもいいから帰っておいでね。」先生になるのだからと強がる気持ちと、まだまだ家族に甘えていたい気持ち。これまでの努力や、「顔晴れ」に込められた家族の思い。たくさんの感情が複雑に絡み合い、思わず涙が。「その日からずっと、この写真はお守りですね。 背中を押してもらえます。」ケーキは大切なメッセージを、心に届けてくれたようです。

「ショートケーキ12の物語」11月の期間限定ケーキは、「想いを紡ぐ、ミルキーショートケーキ 」。「ママの味」のミルキークリームを使い、家族の温かさを表現した〝かまくら〟の形のケーキです。プレゼントをイメージした、リボン型のクリームに心温まるメッセージを添えて。あなたも大切な人へ贈ってみてはいかがですか?込めた思いで、もっとおいしくなるはずです。

私たち不二家がショートケーキを販売してから100周年の今年、ケーキにまつわるたくさんのストーリーに出会ってきました。

パティシエを目指す高校生。日本茶とケーキの意外な出会い。将来の夢を話しながら食べた日。世界各国で愛されるケーキそしてどのストーリーにも必ず共通していたのは、ケーキを囲むたくさんの笑顔だったこと。ずっと、忘れません。

この先の未来も、もっともっと、世界を笑顔にしたい。だから私たち不二家は、101年目を、新たなショートケーキとともに歩んでいこう。そう考えています。

「ショートケーキ 12の物語」最後を締めくくる12月のケーキは、その名も「ショートケーキには、100年ぶんの笑顔がある。」

クリームの甘さやコク、スポンジの食感、苺の数、製法まで、ケーキのすべてをもう一度、見直して。材料は、厳選を重ねてこだわり抜いたものだけを。進化させるところはあっても、こめる思いは創業当時から変わらず、「お菓子で世の中を幸せにしたい」。この思いを、再び心に刻んだ1年でした。

ショートケーキがこの100年で生んできた、たくさんの物語とともに。不二家がいま、自信をもってお届けする、次の100年に向けたショートケーキです。

2022
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限定販売
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