商品情報

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ミルキー

100gミルキー袋

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72gカッチコチミルキー袋

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7粒ミルキー

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12粒ミルキーチョコレート

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14粒ミルキーチョコレート袋

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168gペコちゃんミルキードーナツクッキー

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110gペコちゃんミルキーパイ

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37gプレミアムミルキー

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32gミルキー(はちみつ&バター)

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ポップキャンディ

20本ポップキャンディ袋

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8本ポップキャンディ袋

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469gポップキャンディ
パーティーパック

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5本デラックスポップキャンディ

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58gポップグミ

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誕生秘話

これまで誰も手を付けていない
独特の味を創造したい

戦災で焼け残ったボイラーただ1基を手掛かりに、彼は戦後いち早く、沼津工場を再建。まもなく水アメと練乳の製造が開始されました。水アメと練乳、二つの製菓材料を手にした林右衛門は、これを結び付けようと思い付くのです。

初期のミルキー

初期のミルキー

昭和24年・25年頃

以来、彼は自宅に程近い鶴見工場に暇さえあればこもり、試作と吟味を繰り返します。昭和24~25年頃のことでした。新製品が幼児を対象とし「ママの味」をキャッチフレーズとする構想は、このころすでに固まっていました。だから新製品は、母親の愛情を表すようなやわらかい味、母乳のなつかしさを感じさせるようなお菓子でなければ。丸2年の間、何10種、何100種の試作品が検討されたといいます。

初昭和39年発売のスポーツデザインのミルキー

昭和39年発売の
スポーツデザインの
ミルキー

昭和26年

ようやく完成したのは、昭和26年。練乳を50%近く使い、思い切ってまろやかな味を出したため、砂糖1貫目(3.75kg)が2000円、バターもろくに出回らない、米の値段が60kg2800円という当時としては、信じられないほど贅沢な新菓でした。

ミルキーチョコレート

ミルキーチョコレート

昭和27年頃

開発段階では「ジョッキー」と名付けられていましたが、「牛乳そのままの味を生かした」というイメージから、「ミルキー」という名で発売されました。まずは銀座店で売られ、そして全国販売するための条件が整ったと判断された27年、いよいよ小売店への卸売りが開始されます。

ミルキードリンク

ミルキードリンク

全く新しいおいしさ、豊富な栄養、それに10円の廉価という3拍子揃ったこのお菓子は、またたく間にたくさんの子供たち、母親たちに支持される大ヒット商品となり、不二家の名を全国に浸透させる役目を果たしました。

「ポップキャンディ」 は、1954年(昭和29年)の神奈川県・鶴見工場にて生産が開始されました。
今から70年以上も前の出来事で、当初はスティックをさす工程も、型押しや包装もすべて手作業でした。
多くの人に喜んでもらうため、機械化による量産を成功させること、お子様への安全性を考えて、スティック部分をプラスチック製から紙製に変更する、という試行錯誤が始まりました。

海外の企業から紙スティックの自動機械を導入しましたが、海外からやってきた輸入機械は、日本の気象条件ではちゃんと動いてくれず、不良品も大量に続出、海外から招いた技術者は帰国…となかなか上手くいきませんでした。

しかし、「ポップキャンディ」のファンのためにも、あきらめるわけにはいきませんでした。
さまざまな協力を得て、改良への努力と国産機の開発を続け、ついに、紙スティック付きのポップキャンディが量産できる体制へ!
「ポップキャンディ」の生産は、鶴見工場から平塚工場(神奈川県)、岩手工場へと移行。
1963年(昭和38年)には、本格的に生産がスタートします。

1975年(昭和50年)には、当時最新のマシンを2台導入し、キャンディのカッティング、型抜き、仕上げなどがオートメーションで一度にたくさん作れるようになりました。
現在は、栃木県にある野木工場で作られています。

ポップキャンディの歴史

「ポップキャンディ」 は、1954年(昭和29年)の神奈川県・鶴見工場にて生産が開始されました。
今から70年以上も前の出来事で、当初はスティックをさす工程も、型押しや包装もすべて手作業でした。
多くの人に喜んでもらうため、機械化による量産を成功させること、お子様への安全性を考えて、スティック部分をプラスチック製から紙製に変更する、という試行錯誤が始まりました。

海外の企業から紙スティックの自動機械を導入しましたが、海外からやってきた輸入機械は、日本の気象条件ではちゃんと動いてくれず、不良品も大量に続出、海外から招いた技術者は帰国…となかなか上手くいきませんでした。

しかし、「ポップキャンディ」のファンのためにも、あきらめるわけにはいきませんでした。
さまざまな協力を得て、改良への努力と国産機の開発を続け、ついに、紙スティック付きのポップキャンディが量産できる体制へ!
「ポップキャンディ」の生産は、鶴見工場から平塚工場(神奈川県)、岩手工場へと移行。
1963年(昭和38年)には、本格的に生産がスタートします。

1975年(昭和50年)には、当時最新のマシンを2台導入し、キャンディのカッティング、型抜き、仕上げなどがオートメーションで一度にたくさん作れるようになりました。
現在は、栃木県にある野木工場で作られています。

1959年

誕生当時はバラ売りもされていて、価格は1本5円でした。

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1970年

1本10円に。これは、子どもたちが自分のお小遣いで買えるようにとの思いで設定された値段です。ストロベリー、オレンジ、レモン、バナナの4つのフルーツフレーバーから選べるのも人気の理由でした。家庭用には、1本多く入った袋詰めが好評。家庭の常備おやつとしても浸透していきます。「おやつの人気者! 食べやすい棒つきキャンディ」というキャッチフレーズで、ますます気軽に親しまれる存在に。

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1980年

お得な袋詰めは「ポップキャンディ袋」、バラ売りは「プチポップキャンディ」と、商品名が分かれます。

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1982年

「プチポップキャンディ」が「10円ポップキャンディ」に改名。バラのキャンディは、DPと呼ばれる、プラスチック製の透明な容器に入って販売されました。今もちがう形で受け継がれています。このころ、キャンディの形が、丸形から楕円型に変わっています。より食べやすい形へ改良したのです。

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1990年

「牛乳ポップキャンディ」(15本入り)が仲間入り。ロングセラー商品としてすっかり定着した「ポップキャンディ」ですが、進化はとまりません。

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1997年

むし歯になりにくいサンフェノン入りが誕生。フレーバーはストロベリー、オレンジ、グレープ、メロンの4種類でした。

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2007年

ストロベリー、オレンジ、グレープにピーチのフレーバーが仲間入り。キャンディには動物の形をしたレリーフが入り、見て楽しめるように工夫しています。緑茶ポリフェノールを配合した歯にやさしいキャンディとしてバージョンアップ。

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2009年

発売55周年を迎えたポップキャンディ。55周年を記念してキャンペーンを実施しました。6月6日を「不二家ポップの日」に選定したのもこの年でした。

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現在

歯に優しい成分の緑茶ポリフェノールの配合はそのまま、グレープ、オレンジ、ストロベリーと期間限定フレーバー「パイン」の4種の味をお楽しみいただけます。キャンディにはグー、チョキ、パー、ハートのレリーフが入っており、じゃんけんで遊ぶことができます。

商品のヒミツ

「ポコちゃん」の
名前の由来

「ポコちゃん」の
名前の由来

幼児を意味する室町時代の古語「ぼこ」を西洋風にアレンジしたもの。

ミルキー包み紙の
シークレット

ミルキー包み紙の
シークレット

「Happy」と書かれた四つ葉のクローバー柄や、​「大吉」「中吉」と書かれたおみくじ柄など、ラッキーアイテムの絵柄がプリントされていることがあります。​

「ペコちゃん」の
名前の由来

「ペコちゃん」の
名前の由来

仔牛の愛称である東北地方の方言「べこ」を西洋風にアレンジしたもの。舌を出す仕草がミルキーの成分である練乳(牛)と関連付けられています。

ポップキャンディの形
のヒミツ

ポップキャンディの形
のヒミツ

1982年頃、キャンディの形が、従来の丸形から楕円形へと変わっています。​これは、子どもたちが口に入れやすいように、「より食べやすい形へ改良した」ためです。​

「ミルキーはママの味」
のヒミツ

「ミルキーはママの味」
のヒミツ

戦後の日本の子どもたちに栄養価が高く、母親が安心して与えられるお菓子を届けたいとの想いで、母親の愛情を表すようなやわらかい味をイメージして作られました。​

ポップキャンディの棒は
プラスチック製だった

ポップキャンディの
棒は
プラスチック製だった

ポップキャンディ誕生当初、キャンディの棒はプラスティック製でしたが、​お子様への安全性を考慮し、後に紙製に変更されました。​