ペコちゃんとERIKOの旅、引き続き、サハ共和国からお届けします!
前回ご紹介した首都ヤクーツクも、真冬の平均気温が零下40℃と十分極寒地と呼べるのですが、サハ国内にはさらに上を行く、「世界一寒い、人間の居住区」と言われている村があります。
その村の名前は「オイミャコン 」。過去に記録した最低気温は、なんと零下71.2℃!
こんなに寒い中で生活している人達がいると聞いて興味が涌いた私は、彼らがどんな考えを持って、どんな仕事をして、どんな暮らしを送っているのか、実際に自分の目で見てみることにしたのでした。
ヤクーツクからオイミャコンまでは一本道です。
途中ハンディガという村で1泊したり、凍った川の上を渡ったりしながら、約1,000kmの道のりを車で2日間、東に向かってひた走ります。
全長2,030kmに及ぶこの道路は通称、「骨の道」。
ソ連のスターリン政権下で、「グラグ(グラーグ)=強制労働収容所」に収容された人達を動員して整備された、悲しい歴史を持つ道路です。この道を作るための過酷な労働によって多くの人達が命を落とし、凍結した道路の下に埋められたことから、このような名前がつけられたのです。
オイミャコン村は、人口500人ほどの小さな村です。
ホテルなどの宿泊施設がないため、この村を訪れる人はみんなホームステイをすることになります。
私が滞在させてもらったのは、アムノソバ一家。
奥さんのエレノーラさん、ご主人のガブリエルさん、9歳のヤーナちゃん、13歳のスベタちゃんの4人家族です。
エレノーラさんは看護師として村のクリニックに勤務していて、ガブリエルさんは石炭を運ぶトラックの運転手として働いています。
到着してまず驚いたのは、敷地の広さ。
一家の敷地には大きな平屋建ての住居の他に、サマーハウス(夏用の別宅)用の小屋、物置小屋、トイレ、バーニャ(サウナ)、牛舎まで建てられていました。
家の中では1日中暖炉が焚かれているので、いつも摂氏28℃前後ととっても暖かです。もちろん一家はTシャツやワンピースなどの夏の装いで過ごしています。
出発前からずっと気になっていたのは、外気温です。
零下70度まで目盛りがあるオイミャコンの温度計を恐る恐る覗いてみると、なんと零下60℃!
ウイルスも活動困難な零下60℃の世界、みなさんは想像できますか?
まず、どんなにしっかりと防寒していても、外に出て30秒もするとじわじわと寒さが染み込んできます。
匂いは全く感じられません。音は聞こえるのですがとても鈍く感じて、まるで宇宙空間にでも来てしまったかのようです。
外にうっすらと積もっている雪はサラサラのパウダースノー。息を吹きかけるとパラパラと飛んでいってしまうほど軽いんです。気温が低すぎて雪が解けないので足を滑らせることがなく、まるで砂の上を歩いているような感覚です。
このような極寒の地域では、しっかりと栄養を取ることが身を守ることに直結します。
さて、オイミャコンの人達は食料をどこから補充しているのでしょう?
答えは、夏の間に冬を越せるだけの食料を蓄える、です。
実はオイミャコンも夏になれば気温が摂氏30℃を超えます。永久凍土の一部が溶け、辺り一面に草がぼうぼう生えて、同じ村とは思えないほど緑豊かな大地になるのです。冬と夏の寒暖差が100℃以上なんて、本当に驚くべき気候です。
この夏の植物がよく育つ時期に、冬の分の野菜もまとめて栽培して保存しておくのです。また、猟にも出かけて、お肉もしっかりと備蓄しておきます。
ちなみに村に1軒だけスーパーマーケットのようなお店があるのですが、こちらは物価が非常に高いので必要最低限の物しか購入しないそうです。
オイミャコンでは、1日に最低4回は家族で食卓を囲んで過ごす時間があります。
家族団欒という言葉がぴったりの食卓はいつも賑やかで、親は子どもの話に耳を傾けて会話を楽しんでいます。
冬のオイミャコンの食卓には、夏の備蓄品の他に、年間を通して行われる漁で獲れた生魚が並びます。魚は不足しがちなビタミンを補ってくれます。
魚以外のビタミン補給の手段として、「モルス(コケモモ)」と呼ばれる酸味のある木の実のジュースも良く飲まれています。
食後のお片づけは、子どもたちの仕事。水道はありませんが、慣れた手つきでバケツに入れた水を上手に使って洗っていました。
半ば冒険するような気持ちで訪ねたオイミャコン村でしたが、村の人達と触れ合い、彼らにとってはこれが当たり前の環境であるということに気付きました。
外部の私達は過酷な気温条件ばかりに目が向いてしまいがちですが、実際に暮らす人達はオイミャコンの自然の美しさや食べ物の美味しさにとても感謝していて、とても満ち足りている様子でした。
外から見て生きるのが大変に見える土地でも、その土地の素晴らしさを良く知っている人達には、そこがパラダイスとなるのかもしれませんね。
ERIKO(エリコ)
モデル・定住旅行家
鳥取県出身。東京コレクションでモデルデビュー。高校在学中、語学留学のためイギリス、アメリカ合衆国に滞在。高校卒業後、イタリア、アルゼンチン、ロシア、インドで語学習得のための長期滞在をきっかけに、様々な土地に生きる人達の生き方や生活を体感することに興味を抱き、スペイン語留学で訪れたアルゼンチンでの生活をきっかけに、ラテンの地と日本の架け橋になるという目的を持って、2012年から1年4ヶ月をかけて中南米・カリブ25ヶ国を旅する。現在モデルと並行し、「定住旅行家」として、世界の様々地域で、現地の人々の家庭で暮らすように旅を続け、人々の生活や生き方を伝えている。NEPOEHT所属(モデル)であり、雑誌、CM、企業講演、トークイベント、国内外TV、ラジオなどメディア出演多数。著書に「暮らす旅びと」(かまくら春秋社)。また、内閣府平成28年青年国際交流事業の効果検証に関する検討会委員。観光庁「若旅★授業」講師。とっとりふるさと大使。米子市観光大使。国際協力機構JICA「なんとかしなきゃ!プロジェクト」著名人メンバーなども勤める。

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