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ERIKO&ペコちゃんの旅~ERIKOさん&ペコちゃんが訪れた世界の国の文化や習慣をご紹介~

このコーナーでは、ERIKOさんとペコちゃんが一緒に旅をした、世界の国々の文化や習慣をご紹介しています。

ERIKO(エリコ)さんのプロフィールはコチラ

パラオ編 Vol.2 「日本文化と融合した、パラオ文化」

「あっちこっちで“日本”を発見!とっても親しみを感じたよ」“ペコより”

 1年中温暖な気候で、治安が良く、美しい海でのんびりとマリンスポーツが楽しめる観光国として日本人に大人気のパラオは、歴史的に日本と関わりの深い国でもあります。
 実はパラオは、スペインの植民地、ドイツの植民地を経た後、30年間、日本の統治下に置かれたことがあるのです。

 第1次世界大戦が始まった1914年以降、現在のミクロネシア連邦、パラオ、マーシャル諸島、北マリアナ諸島を含むミクロネシア(南洋群島)を占領した日本は、1920年に国際連盟の委任を受け、これらの島々を委任統治領としました。
 南洋庁(施政機関)が置かれて政治や産業開発の中心となったパラオには、日本から多くの移民が渡って、島のインフラや衛生環境を整備しながら、殖産興業(新しい産業の育成)やさまざまな商業活動を行ないました。同時に、現地の学校で子ども達に日本語教育がしっかりと行なわれたので、今でも日本語を流暢に話されるお年寄りの方がたくさんいらっしゃいます。

 このような経緯もあり、今でもミクロネシアに住む人口の2割は日系人なのだそうです。
 パラオにも日本の血を引く人々がたくさん暮らしていて、初代パラオ大統領を務めたハルオ・レメリクや、5代目の大統領のクニオ・ナカムラも日系人でした。

 パラオの人々は、日本や日本人に対して親近感や尊敬の念を持っていて、パラオに入ってきた日本の要素を自分達の文化として大切にしています。
 パラオ語になった日本語も数多くあり、「デンワ」、「ゾウリ」、「エモンカケ(ハンガー)」などの名詞だけでなく、「ツカレナオス(ビールを飲む)」、「アジダイジョウブ(おいしい)」といったフレーズまで存在します。これらの言葉は、日本語由来とは知らず純粋なパラオ語だと思って使っている人がたくさんいるほど、すっかり浸透しています。
 子ども達の遊びの中にも、日本文化の影響が見られます。その代表的なものが「竹馬」で、私達が子どもの頃に乗って遊んでいたように、パラオでも子ども達の遊び道具となっています。
 また、伝統工芸品の「ストーリーボード」の技術を現地の人に教えたのは、彫刻家で詩人の日本人、土方久功でした。ストーリーボードは、パラオの歴史や伝説、伝統的な集会所「バイ」に描かれた物語、口頭伝承の物語の1場面などを木彫りにしたものです。このイタボリの技術は、今はパラオ人が後世に伝えています。

 私とペコちゃんは、パラオの中心地であるコロール島から南に約50kmのところにある、「ペリリュー」という島を訪ねてみました。
 第2次世界大戦中に激戦区となったこの島は、2015年4月9日に上皇上皇后両陛下が慰霊のために訪問されていて、以降4月9日が州の祝日となっています。

 船を降りるとすぐに、「ようこそペリリュー島へ」と、日本語で書かれた看板が目に入りました。
 島の大部分を覆うジャングルから、鳥のさえずりが静かに響きます。島内には昔の零戦や戦車、大砲、洞窟内の備品などがそのまま置かれていて、まるで島全体が戦争博物館のようになっているのですが、それでも、ここが悲惨な戦場だったとは想像しがたいほど、今のペリリュー島はとても穏やかです。
 当時、日米合わせて約2万人以上の方がこの島で亡くなったそうで、ここで戦った兵士達の遺骨収集は、今でも積極的に行われています。

 戦争の爪痕が残っているのは、ペリリュー島だけではありません。
 第2次世界大戦で日本海軍の基地となったパラオには、なんと2,800tもの砲爆弾が発射・投下され、近郊の海に30隻以上の日本の大型船が沈みました。1944年3月30日のパラオ大空襲で沈没した船は、今でもマラカル湾に爆発物を積んだまま沈んでいます。

JMAS爆発物処理

 そんなパラオの現状を救うため、ノルウェーの「Norgian Peoples Aids(NPA)」、イギリスの「Clear Grand Dimining(CGD)」、そして日本の「JMAS」が、爆発性戦争残存物(ERW)の撤去・処理を行なっています。
 この3団体の中で、海中へ潜って手作業で爆発物の引き上げを行なっているのが日本のJMASで、元自衛隊海軍のボランティアの方々が活躍されています。
 パラオの人達から感謝の言葉をかけられるとのことで、同じ日本人としてとても誇らしく感じました。

 次回も、パラオ編をご紹介します。お楽しみに。

ERIKO(エリコ)

モデル・定住旅行家

鳥取県出身。東京コレクションでモデルデビュー。高校在学中、語学留学のためイギリス、アメリカ合衆国に滞在。高校卒業後、イタリア、アルゼンチン、ロシア、インドで語学習得のための長期滞在をきっかけに、様々な土地に生きる人達の生き方や生活を体感することに興味を抱き、スペイン語留学で訪れたアルゼンチンでの生活をきっかけに、ラテンの地と日本の架け橋になるという目的を持って、2012年から1年4ヶ月をかけて中南米・カリブ25ヶ国を旅する。現在モデルと並行し、「定住旅行家」として、世界の様々地域で、現地の人々の家庭で暮らすように旅を続け、人々の生活や生き方を伝えている。NEPOEHT所属(モデル)であり、雑誌、CM、企業講演、トークイベント、国内外TV、ラジオなどメディア出演多数。著書に「暮らす旅びと」(かまくら春秋社)。また、内閣府平成28年青年国際交流事業の効果検証に関する検討会委員。観光庁「若旅★授業」講師。とっとりふるさと大使。米子市観光大使。国際協力機構JICA「なんとかしなきゃ!プロジェクト」著名人メンバーなども勤める。

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